2008年04月07日
私の作詞作曲法1
子供の頃から、自分のオリジナル曲をつくりたいと思ってきて、10代20代とチャレンジしたけれど、どうしても何かの曲に似てしまい、本当の意味でのオリジナル曲はできませんでした。(当時吉田拓郎さんの全盛時、私はむしろ都倉俊一氏や平尾昌明氏にあこがれをもっていたけど)しかし、いろいろな悩みを抱えていた37才のある夜、深夜12時すぎだったと思います。眠ろうとしてふとんの中入ったところ、頭の中にメjロディーと言葉が突然流れ出して、止まらなくなったんです。いくら眠ろうと努力してもその音楽は止まりませんでした。しかたなしにノートを取り出して言葉を書き連ねました。メロディーはすぐにわすれることが多いので、カセットテープに録音した思います。
それがはじめてのオリジナル曲「旅立つ君へ」でした。自分がいろいろなことに悩み、その感情が突然メロディーと詩になって吹き出してきたのだと思います。それ以後ぼちぼちと自分の曲が書けるようになってきました。「和歌山ラーメンの歌」「買い物ソング」「恋の不老橋」などです。
今でも、自分が感動した時、心を強くゆり動かされた時にある言葉とメロディーが同時にワンフレーズとなって出てきます。それから次のフレーズ、その次のフレーズと出てきて最終的に1つの曲となって完成します。全体像を決めてからつくるのではないんです。こんな作り方でいいのかどうかわからないけれど、いろいろな人と出会う中でメロヂィーが生まれてきました。続きはまた、2,3日したら書きたいと思います。しばらく音楽談議をします。よろしく。
それがはじめてのオリジナル曲「旅立つ君へ」でした。自分がいろいろなことに悩み、その感情が突然メロディーと詩になって吹き出してきたのだと思います。それ以後ぼちぼちと自分の曲が書けるようになってきました。「和歌山ラーメンの歌」「買い物ソング」「恋の不老橋」などです。
今でも、自分が感動した時、心を強くゆり動かされた時にある言葉とメロディーが同時にワンフレーズとなって出てきます。それから次のフレーズ、その次のフレーズと出てきて最終的に1つの曲となって完成します。全体像を決めてからつくるのではないんです。こんな作り方でいいのかどうかわからないけれど、いろいろな人と出会う中でメロヂィーが生まれてきました。続きはまた、2,3日したら書きたいと思います。しばらく音楽談議をします。よろしく。
