2008年08月11日
音楽で出会った人たち②
今日もたいへん暑かったですね。
さて、今日も思い出話をーー。
25歳の時、ジャズ系のバンドに少し入ってました。
その時、Kさんというドラマーに出会いました。
Kさんは出会った当時、72歳か73歳でした。彼は戦前、上海のクラブでジャズバンドを主宰していた人。
本物の上海バンスキングの人でした。ドラムの方は年も年ですので、なかなか思うようには
たたけないことが多かったですが、音楽は別としても、親しくお付き合いをさせてもらいました。
年に1,2度すごく調子がいい時があり、すごいドラムをたたきました。
まだ、私も若かったので、いろいろなことを教えてもらいました。
亡くなって18年ほどになりますが、忘れられない友達です。
写真は、和歌山城内のイルミネーションです。昨日ウォーキングをしていて写しました。
Posted by 植松淳平 at 17:59│Comments(10)
│音楽の話
この記事へのコメント
植松さんの人生の師ですね^^
出会いは、人を変えますね 今日は、お電話ありがとうございました。
お会いできるの、とっても、楽しみです(*^^*)
出会いは、人を変えますね 今日は、お電話ありがとうございました。
お会いできるの、とっても、楽しみです(*^^*)
Posted by 梓ママ at 2008年08月11日 18:34
7日、日曜日のライブ情報・・・・あげときましたので・・・・
Posted by プラス at 2008年08月11日 22:04
梓様
こちらこそ、よろしく。楽しみにしています。
プラス様
いつもお誘いありがとうございます。オーケー、アイル、ゴーです。
こちらこそ、よろしく。楽しみにしています。
プラス様
いつもお誘いありがとうございます。オーケー、アイル、ゴーです。
Posted by 植松淳平 at 2008年08月11日 23:09
お〜、本物の上海バンスキングですね、ホントに。
僕は映画はもちろんですが、本家の自由劇場の芝居も観ました。
あの芝居は劇団員が実際にジャズを演奏していて、吉田日出子さんの歌も最高でした。
Kさんもミュージシャンとしてかっこよかったんでしょうね。
僕は映画はもちろんですが、本家の自由劇場の芝居も観ました。
あの芝居は劇団員が実際にジャズを演奏していて、吉田日出子さんの歌も最高でした。
Kさんもミュージシャンとしてかっこよかったんでしょうね。
Posted by ぷれすまん at 2008年08月11日 23:34
ぷれすまんさん
映画だけでなく、自由劇場の芝居まで観るなんてすごいですね。生の魅力てやっぱりいいですよね。私も今はあまり観ないけど、東京で歌舞伎・商業演劇(松たか子・京マチコ)など何度か観た時期があります。
Nさんは、戦前のモダンボーイ、晩年には和歌山に住んでいたけど、いつもおしゃれな服装をしてました。私らとやっぱちょっとちがいましたね。
上海では、フィリピン人のメンバーもいる9人編成のバンドをしていたそうです。昭和18年に帰国し、戦後も大阪松竹に所属してしばらく演奏したそうです。彼は京都出身でしたよ。今生きていれば100歳ぐらいでしょうね。
映画だけでなく、自由劇場の芝居まで観るなんてすごいですね。生の魅力てやっぱりいいですよね。私も今はあまり観ないけど、東京で歌舞伎・商業演劇(松たか子・京マチコ)など何度か観た時期があります。
Nさんは、戦前のモダンボーイ、晩年には和歌山に住んでいたけど、いつもおしゃれな服装をしてました。私らとやっぱちょっとちがいましたね。
上海では、フィリピン人のメンバーもいる9人編成のバンドをしていたそうです。昭和18年に帰国し、戦後も大阪松竹に所属してしばらく演奏したそうです。彼は京都出身でしたよ。今生きていれば100歳ぐらいでしょうね。
Posted by 植松淳平 at 2008年08月13日 08:42
映画好きなんで、Nさんと同時代のジャズ映画の秀作を紹介させてください♪
それは阪本順治監督の「クラブ進駐軍〜この世の外へ〜」。
若きジャズメンたちを描いた戦後のジャズの物語です。
レンタルショップでもDVDが1枚あるかどうかの作品ですけど(笑)。
それは阪本順治監督の「クラブ進駐軍〜この世の外へ〜」。
若きジャズメンたちを描いた戦後のジャズの物語です。
レンタルショップでもDVDが1枚あるかどうかの作品ですけど(笑)。
Posted by ぷれすまん at 2008年08月13日 23:53
自分の祖父も戦前に上海に行ってたジャズマンで、上海では日本租界のとあるダンスホールでバンマスをしてました。上海バンスキングは原作者の斎藤憐さんが戦前に上海で活躍した日本人ジャズメン数名に取材をして、その話からつくられたものなのですが、実は祖父も斎藤憐さんの取材を受けたジャズメンの中の一人なんですよ。だから祖父は本家本元の上海バンスキングですね。もしかしたら、祖父とKさんは知り合いだったのかもしれませんね。ちなみに、祖父は生きていれば100歳をちょっと過ぎたぐらいですね。
Posted by 昇り龍R at 2008年09月13日 03:08
昇りRさん
コメントありがとうございます。
多分Kさんは、昇りRさんのお爺さんを知っているでしょうね。
Kさんにいろいろ話を聞いたのですが、もうずいぶん時が過ぎました。
Kさんの分まで、音楽をやっていきまーす。Kさんも見守ってくれていると思います。
コメントありがとうございます。
多分Kさんは、昇りRさんのお爺さんを知っているでしょうね。
Kさんにいろいろ話を聞いたのですが、もうずいぶん時が過ぎました。
Kさんの分まで、音楽をやっていきまーす。Kさんも見守ってくれていると思います。
Posted by 植松淳平 at 2008年09月13日 23:27
Kさんがフィリピン人のメンバーもいるバンドをしていたということは、外国租界のどこかでしょうね。祖父は上海では日本租界の桃山ダンスホールというところにいました。上海バンスキングの主人公「バクマツ」のあだ名を持つ方や、シングリーという方も祖父のバンドにいたんですよ。
祖父のことは斎藤憐さん著の「昭和のバンスキングたち」や上海バンスキング博品館公演時のパンフレットにインタビューが出ています。
なにか時が過ぎると先人達の功績が忘れられ、事実も面白いように作り変えられて次に伝わってしまったりしますよね。
祖父のことは斎藤憐さん著の「昭和のバンスキングたち」や上海バンスキング博品館公演時のパンフレットにインタビューが出ています。
なにか時が過ぎると先人達の功績が忘れられ、事実も面白いように作り変えられて次に伝わってしまったりしますよね。
Posted by 昇り龍R at 2008年09月14日 00:24
昇りRさん
一度斉藤さんの本を探してみます。
一度斉藤さんの本を探してみます。
Posted by 植松淳平 at 2008年09月14日 08:14