2009年09月11日
知っていますか?この伝説を!
この間、ヤタガラスのお話をしました。
その関係の番外編のお話。
神武天皇さんが九州から来て、浪速での戦いに敗れて、
今の和歌山市雄ノ湊に上陸し、和歌山の豪族「名草戸部」と
戦いました。
名草戸部は、神武に負けて殺されましたが、
その遺体の、
頭の部分は、海南市小野田に葬られました。
胴体の部分は、海南市阪井に葬られました。
足の部分は、和歌山市山東に葬られました。
やがて、海南市小野田は、頭の神様として「オコベ神社」に、
海南市阪井は、お腹の神様として「松尾神社」に、
和歌山市山東は、足の神様として「足守神社」に
なり、信仰されています。
私は、この話を知り合いから聞きました。
由来がわかり、なるほどなあと、思いました。
(写真は、海南市雨の森の陶芸の里、風凧の内部です。)